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『GEISAI』は10数億円かけて、無駄だということがよくわかりました。

―村上さんは、ご自身のスタジオ運営や、『GEISAI』などを通じて美大生や芸大生に対する徒弟制度的な教育システムを構築しています。だとすると、そこに参加している20代前半の若者たちは、もはや手遅れということでしょうか?

村上:そうです、手遅れです。『GEISAI』は10数億円かけて、無駄だということがよくわかりました。じゃあ、僕が今もなぜ『GEISAI』をやっているかと言うと、もしかしたら一粒の可能性が残されているかもしれないという葛藤があるからです。可能性を捨てきれない以上、やり続けます。でも、『GEISAI』で、自分のエゴや自尊心を満たすために受賞して、目に見えない未来の旨みを吸い取りたいっていう人間に可能性はありません。

―では、新しい可能性を映画やテレビの中に見出しているのでしょうか?

村上:うーん……。僕自身、自分の作品とか活動形式に全然自信もないですから、難しいですね。僕にとって人生の訓戒は、ゴヤの存在なんです。スペイン人であるゴヤは、軍隊が市民を虐殺する『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』を描いてますが、そのとき彼は無力だったはずです。彼自身は虐殺の非道を告発する意味を作品に込めたのでしょうが、そのときのスペイン政府もしくは国家に対しての影響力はゼロだったと思うんですよ。しかし、世界はなるようにしかなっていかず、この絵が描かれた1814年から見て未来である現在においては、スペインは虐殺が悪行であったと認めるところまで来てるわけですよね。歴史を振り返るための句読点として芸術があるとするならば、そこにしか自分の存在価値はないというか。非常に消極的で、退いていきながらの1つの戦い方という感じでしょうか。

村上隆

―アーティストとは歴史に対する告発者ということでしょうか?

村上:非常にちんちくりんで、現世ではなんの影響力も持たない無意味な存在です。タイムマシンを作っているマッドサイエンティストみたいな、ある種の変人だと思っています。

―でも、変わっているがゆえの蛮勇もあるのではないでしょうか。時代の渦中に向かって、1つの小石を投げて波紋が出来る。そんな影響力をアーティストは持っていると思います。そういう希望みたいなものも抱いてらっしゃいますか?

村上:どうでしょう? 死ぬ気でちゃんと芸術をやっているんだとしたら……。でも、中途半端にやっている人は無意味でしょうね。